1910年5月25日、宮下太吉・新村忠雄つづいて新田融・古河力作の4人が逮捕された。宮下が爆発物を所持しているという理由であった。4人についで、新村善兵衛、菅野スガ、幸徳秋水も逮捕された。警察は、関係者は7人のみと発表したが、政府はこれを無政府主義者を潰滅する機会に利用し、全国で数百人が逮捕された。このうち26人が起訴され、翌年1月18日に24人が死刑判決となり、6日後に幸徳秋水ら11名、翌日菅野スガが処刑された。(大逆罪とは、刑法第73条の規定で、皇室に対し「危害をくわえ、またはくわえんとしたものは死刑に処す」というものである。)
丸木位里・俊はこの大逆事件を足尾鉱毒の連作の中に入れ、1989年に完成させた。『大逆事件』は、縦180センチ横720センチの屏風絵である。処刑された12人の絶命した時間まで書き込まれている。丸木夫妻の時代に対する眼差しは、常に殺される側にある。見る私たちに張り詰めた緊張感とリアリズムを発信続ける所以である。時代を越え、「描かなければならぬ、忘れてはならぬ」問題として『大逆事件』が描かれた。
今回の企画展は、この丸木位里の大逆事件への問いかけを契機にしている。共同制作の『大逆事件』と小川芋銭・竹久夢二・平福百穂の挿絵と1925年25歳で処刑された古田大次郎のデスマスク、堺利彦「大逆帳」等の遺品、冤罪帝銀事件の犯人とされた平澤貞通の日本画や死刑囚の短歌も同時に展示される。
現在、日本には53名(1998年5月1日現在)の確定死刑囚がいる。すでに処刑された人も含め、15名の死刑囚が描いた絵画100数点がいのちの絵画展として同時に展示される。獄中者は、監獄法施行規則により、画用紙や絵の具などの使用は認められていない。ボールペン(青、黒、赤)、特別使用許可による色鉛筆(赤、青2色くらい)と手紙用の便せんの裏を使い、極めて限定された状況のなかで、絵を描いている。従って獄中画の特色は、色彩などのきびしい制限や獄中での抑圧を、表現方法に活かすことで生まれ出た、ボールペンでのおどくくほど細密画にその特色があるといえる。死と向かい合い、絵を描き始める彼らの作品は彼らの内面を垣間見せてくれるとともに、死刑とは何かを問いかけている。
叫びたし 寒満月の割れるほど
ー1975年6月17日 冤罪死刑執行 西武雄
野に落ちし 種子の行方を 問いますな 東風(こち)吹く春の日を待ちたまへ
ー1911年1月25日 死刑執行 菅野すが
行先を 海と定めし しずくかな
ー1911年1月24日 死刑執行 成石平四郎
春三月 縊り残され 花に舞ふ
ー1923年9月16日 拘引され虐殺 大杉栄
ブルヂュアの庭につつじの咲いており プロレタリアの血の色をして
ー1926年7月23日 獄死