「鵜飼町666──水田ふう・向井孝の書棚」は水田ふう・向井孝が遺した、ふたりの手になる印刷物と、未知の仲間との接点をつくることを目的として開設されました。 第一弾として、ウリ-ジャパン機関紙「非暴力直接行動」全号を掲載します。 以降、第二弾、第三弾として、水田ふう個人通信「風」、向井孝個人通信「IOM」の掲載予定しています。  毎月6日に更新します

女と反原発 実践非暴力直接行動シリーズ3

女と反原発と非暴力直接行動

はじめに

88年、2月11日12日、「原発さらば記念日」四国高松の行動に参加しました。そのことは、「非暴力直接行動」”四国で何が起こった”で書いたので、いまは触れませんが、そのとき、たくさんの女たちに出会って、私のしぼみかけていたおもいが、またよみがえってきたんです。  10年前「反原発」に出会ったとき、私は少々コーフンし、ハリキッていました。反原発は、私にとって文字通り自己解放の運動と思えたのです。まるで、それまでかすみがかっていた頭のなかがスッキリするように、世の中がよく見えるようになったんです。原発をとおして、世の中のこと、自分のことが見えてきたんです。見えてきたら動かないわけにはいかない。動いたらまた見えてくる!というわけでした。 反原発をやりだして、まるで使用前と使用後みたいに、私はずいぶんかわりました。その第1には、実によくしゃべるようになった。人前では、あいさつ一つ、ろくすっぽできなかった私が、原発のことやったらと、おしかけてでも人前でもしゃべるようになったんです。 そのいちばん初めのキッカケをつくったのがこの文章です。関西大のIくんから、うちの公害研で反原発の話をしてよとたのまれ、私はうろたえあわてながら、いや反原発のことやったら、しゃべれるかもしれんし、しゃべりたい、「うん」とへんじをしてしまったのです。でも、そんな人前で話すなんて、生まれてはじめてのことやから、原稿をちゃんと作って、きっちりしゃべろうと思ってつくったのが、これなんです。 いま、あらためて読みかえすと、いま女たちが立ち上がっている気持ちと、あのときの私の気持ちがまるでピッタリ同じやないか、それで、これをもう一度、ぜひみんなにも伝えたい!と思ったんです。  ー風