「鵜飼町666──水田ふう・向井孝の書棚」は水田ふう・向井孝が遺した、ふたりの手になる印刷物と、未知の仲間との接点をつくることを目的として開設されました。 第一弾として、ウリ-ジャパン機関紙「非暴力直接行動」全号を掲載します。 以降、第二弾、第三弾として、水田ふう個人通信「風」、向井孝個人通信「IOM」の掲載予定しています。  毎月6日に更新します

非暴力直接行動 168号

    • 猿たちの脱走 ーいまどきアナボル談義 

~1~

●ちょっと、わたし、おいちゃんに聞きたいねん。おいちゃんはアナキストなんやろ。

▲エーなんや、改まって…。そやなァ、ちょっとかっこつけて云うたら、「わが一生は、アナキストたらんとて、アナキストをめざし、ほんまのところいまだアナキストと自称するほどのもんやない」というところかなァ。しかし、なんでそんなこと聞くんや。

●今まで私らといっしょにいろいろやってきながら、十何年、おいちゃんはアナキズムのアの字もわたしらに話したことない。そいでもやっぱしエライ影きょうをわたしら受けてきたと思うんや。

▲昨日もこんな手紙がきて、ふーんとおもたとこや。『…イオム通信が廃刊になるのはさびしいなあと思っています。…送っていただくようになったのは10年以上も前…「プレイガイドジャーナル」が駅の売店に置かれるようになって手にはいりやすくなった頃、その誌上で…「アナキストの詩人、向井孝さんが発行しつづけているイオム通信、これがなかなかすごい。切手を貼った封筒を何枚か向井さんに送ればすぐに送ってもらえる…」みたいな ”宝島風” の軽いノリのコピーが書かれていたように思うのです。今ではこの軽さは何でもないけれど、その当時はこの軽さも妙に新鮮で、すぐに封筒を送った記憶があります。それからは送っていただくばかりの私の方からは一度も発言したことのないあしき読者でありました。でも、私の中でアナーキーな生き方とはどういうものかをいつも思い起こさせてくれる起爆剤としての力をイオムから得ていたと思います。でも、参院選社会党の勝利を単純に喜び、「山の動く日」が本当に来ると思ったりした私だから、アナキストどころかと自嘲しています。』

●もうだいぶ前のことやけど、「女たち」を中心にした三里塚支援の集会を関西で開くから実行委員会に参加してほしいという呼びかけがあって…。

▲古くから運動をやってるUさんの肝入りで女たちが集まって、三里塚からは小泉美代ちゃんらが来たときやな。

●それでRはんとHさんが女グループから出かけていったことあるんやけど、そこで、決議文はどうするか基調報告はどうするかという話になってなかなかまとまれへん。それでつい「そんなんムリして一本にまとめんでも、それぞれの人が出した考えをぜんぶ並べたらええねん」ーと気軽にゆうたら、Uさんが「これがアナ・ボル論争やな」と云わはったんやて。RさんHさんは「エッ?アナボルってなに?」とポカンとしてしもたいう話で、わたしもそのときはじめて「アナ・ボル」いうのを聞いたんで、今もよお印象に残ってるねん。

▲ぼくらがあの頃不払い連や女グループで何気なく、当たり前のこととして云うたりやったりしてたことが、よそのグループと一しょになってやろうとするとき、突然それが当たり前のことでないーいうことにエエッと思ういうことはようけあった。

●まあそんなことにはしょっ中出会ってたけど、これはわたしらが新しい運動のやり方を一歩すすんでやってるからで、アナ・ボルのちがい、いうふうには少しも思てえへんかった。それがこの頃改めて、ああこれはやっぱりアナ・ボルの違いなんやなあーとしきりに感じるんや。

▲しかし、いまはアナもボルもまるではやってへんし、第一やってる人でUさんみたいにアナやボルやと意識する人ほとんどおれへんやろ。