「鵜飼町666──水田ふう・向井孝の書棚」は水田ふう・向井孝が遺した、ふたりの手になる印刷物と、未知の仲間との接点をつくることを目的として開設されました。 第一弾として、ウリ-ジャパン機関紙「非暴力直接行動」全号を掲載します。 以降、第二弾、第三弾として、水田ふう個人通信「風」、向井孝個人通信「IOM」の掲載予定しています。  毎月6日に更新します

非暴力直接行動 180号

  • しつこい”いじわるばあさん”ー死刑と非暴力直接行動

 ゆみ子さんがやってきて、深刻な面持ちで切り出した。

 『あの地上戦が始まってしまったとき、「もうブッシュは死刑や」って思わず呟いてしもたんや。

 やっぱしわたし、悪い奴は死刑にしてやりたいと思うてるねん。それでわたしみたいなもんがおるから死刑制度は支えられてるんやと思ったら、二・二四“寒中死刑大会”の最中も、ずーっと心が落ち着かへんかった』

 それでわたしはゆみ子さんにとりとめもなく、えんえんとしゃべってしもた。

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 『その気持はうちかて同じやで。ブッシュだけやない。無実やのに何年間も牢屋に入れられて、やっと出てきたのにその人は、どこへも行かんと、すぐに直行して有罪を言い渡した裁判官を襲ったというねん。服役中それを生きる力にして、思いつめていたにちがいないねんな。やってトーゼン、やられてトーゼンの気持、よおわかる。いったい今までどれだけたくさんの人がやりどころのない恨みを抱いたまま、冤罪で殺されていったことか。

 再審再審のあげく、やっと無罪を勝ち取ったあの免田栄さんは、その間、七十人もの裁判官から死刑を言い渡されたんや。しかし、無罪がはっきりしても、その裁判官たちは何のトガも受けず謝罪の一つもせんと、しゃあしゃあと素知らぬ顔して生きてるんや。免田さんは、もうほとんど殺されかけてたんやで。その裁判官ら、他にも冤罪のひとを殺してるかもや。ほんまに、その当事者たちにしてみれば「必殺仕置人」を頼みたいくらいのもんや。

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 話がとぶけど、四月に高知のGさんに呼んでもろて二泊三日のんびりして、幸徳秋水の生地、中村へも行ってきた。中村では、三・二八の関西行動のときに知り合った女たちが六~七人集まって一席もうけてくれはったんやけど、そこへ一日早く来てた別行動の向井さんもやってきて、昼間墓参りした幸徳秋水のことや大逆事件の話をちょっとだけしたんや。

 向井さんは、大逆事件の話になると刑死した人、獄中で憤死・病死した人やその家族たちの末路を語りながらだんだん激してくる。もうこらえかねてとぎれとぎれになり絶句する。

 関係者二十四人全員死刑の判決。翌日、みえすいた天皇の特赦によって十二人は無期に減刑されたけど、その秘密裁判の真相は、「この際、全国の無政府主義者を壊滅する」という方針を命令した明治天皇の寵臣・山県有朋の下に、桂首相とその乾分の平沼次席検事正、そして煙もないところに火をつけて、とくにすさまじいメチャメチャの取調べをした武富斎検事らのデッチアゲやった。そして長野で、神奈川で東京で、熊本で紀州新宮で、大阪で神戸で彼らは突然逮捕され、東京へ移送。そして、そのまま二度と戻ることなく、半年後にはみな処刑されてしもたんや。

 そやけど、まあ、処刑された人たちは、少なくとも社会主義やとか無政府主義やとかいうて、日頃しゃべったり書いたりしてたわけやから、その主義のために死んだんや殺されたんやといえるかもしれん。けど、残された主義とは無関係な家族たちが、その後に辿った悲惨の限りを尽くした運命は、ほんまに聞いてるうちに体が震えるほどで、わたしらまで叫び出しそうやった。

 非国民の子や親や言われて、そこで暮らすことも出来なくなり、行く先々でも警察につきまとわれ、家族は散り散りバラバラ、ほとんど行方不明のまま一家断絶してしもてるんや。

 それに比べてデッチ上げに特別功労のあった武富検事は、褒章をもらってトントン拍子の出世。あの大杉栄虐殺の甘粕事件の時は、特別弁護人になったりしながら、のち代議士にまでなって、立派な墓がある。子孫も愛知県で繁栄してる。平沼はのち右翼の大親分で、総理大臣にまでなってるんや。

 そんなん聞いてて、みんなだんだん向井さんの思いがのり移るようで、「おのれ憎っくき平沼! 絶対許せんのは武富や」と。Kさんなんか「そのうちきっと愛知の武富のうちを訪ねて行って、イヤミのひとつもいうてやりたい。墓みつけて蹴飛ばしてやる」って本気で言い出したくらいや。

 その向井さんも戦争中特高に引っ張られて、死ぬほどの目に合うてる。やられながら、その特高に絶対復讐してやるって思いつづけて、その執念だけで頑張ったというんや。

 戦後、そいつを見つけ出したんやけど、そいつみじめったらしいかっこうして、川原で豚かなんか飼うてたんや。おまけにそいつ「日共」に入党までしてるねん。……もうアホらしなって気がぬけてしもて、敵を討つ気も何もなくなってしもたんやて。

 向井さんが「共産党」に入らんかったのは、まあ、そいつのおかげやいうとったけど……しかしもし向井さんがそいつを殺しとったら、こんどは向井さんが死刑か無期か十年か……いずれにしても刑務所行きやったな。

 なにしろ、悪い奴にはいつかきっと天罰が下る――なんてことは金輪際あらへんのや。恨みを晴らすとしたら自分でやるしかないねんけど、しかしこれがまた至難や。相手の方が強いんやから返り討ちにあうのが関の山。かりに敵討ちに成功しても、また討たれると覚悟せんならん。そやから自分でやるかわりにお上――国――に「死刑」にしてくれというわけや。

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 「死刑」というのは、権力だけが行使できる徹頭徹尾「国家」にとっての制度なんや。「わたしらと死刑制度との関係」は、ただ一方的にやられる側の立場ということや。

 ところが、「悪いことしたらそれ相当の報いを受けるのは当り前。そのためにこそ死刑制度」――という国の側のすりかえに誘導されて、「死刑」はわたしら自身の思いを晴らす報復の制度と思われている。それで、ついつい「ブッシュは死刑」などと言うてしまうんやけど、なんぼ「死刑や!」って叫んだかて、国は自分で決めたものしか死刑にせえへん。そやから、わたしらが「ブッシュは死刑!」いうても、その声は絶対実現することはない。

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 深沢七郎の「風流夢譚」という小説に、天皇や皇后の首がスッテンコロコロと落ちる話がでてくるんやけど、これは夢の話なんやな。そやけど、この小説を出版した岩波書店の社長宅に右翼が襲撃してきて、お手伝いさんが殺され、深沢七郎さんはそのあともずっと右翼につきまとわれたいうことがあったやろ。

 まあ、この国では考えられへんかもしれんけど、ドサクサの群衆心理のなかで「天皇なんか死刑や、殺ってまえ」とみんなでよってたかってリンチするというのは、「革命」ということではありうることかもしれへんやん。

 事実、第二次大戦で敗戦したイタリーのムッソリーニは、そうやって、ひとびとのリンチで処刑されたんやろ。つまり、敗戦の状況下でムッソリーニが権力を失い、群衆が一時的に権力をにぎってた。それで立場が逆転して、群衆が死刑を執行する側になったということや。(その立場の逆転ということでは、後述の「吸血鬼」のたとえが想起できるやろ)

 そしてこのことは、わたしらが革命を起こし権力を握るというようなことがないかぎり、どれだけ「死刑や」と叫んだとしても、それは負け犬の悲鳴ほどの意味しかない。それ故本来、死刑とはまるで無関係のことや。

 にもかかわらず、しかしやっぱり何となく心に引っかかるのは、死刑を行使する権力側がそれを「被害者感情」を考慮してと言い、私らはそれを真に受けて、単純に自分らにとっての「報復の制度」と思い込んでいるからや。

 で、まず何よりもそこんとこをはっきりとさせとかなアカン。

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しかし、そのことをはっきりさせ、そんな権力なんか要らん、そんな政府はいらん、天皇もいらん、なんていうてもそれこそ負け犬の遠吠えで、体制はびくともしよらん。「必殺仕置人」のようなあだ討ちのドラマに根強い人気があるのは、やられっぱなしで死んでいく不運不幸で、弱く可哀想なひとびとが、やっぱし世界中にいっぱい存在してるからや。その人たちのやり場のない恨みつらみ、遺恨の思いはわたしのなかにも深く沈んで積み重なっていて、どうしようもないもんとしてある。それを単純に精神的次元で解消して忘れたり、あっさり許すとかなんてでけへん。

私らは、自分の生き方暮らし方として「非暴力直接行動」いうことをずっと言ってきたけど、その主張が「非暴力」だけでなく必ず「直接行動」とくっつくのは、世間一般の非暴力の理解とちょっと違うからや。それをあっさりと説明するのは難しい……

ちょうど鶴見俊輔さんが長谷川町子の「いじわるばあさん」のこと書いてはった。「非暴力直接行動といじわる、いやがらせ」の説明でそれを引用すると――

『……女性がうまれてはじめて、道端で見知らぬ人から、「おばあさん」と呼びかけられたらショックをうけるだろう(自分の孫からなら別だが)。それほどに「お」をつけようとつけなかろうと「ばあさん」という言葉は、けなしことばである。「いじわるばあさん」は、このけなしことばを逆手にとって、自由の境涯に遊ぶ。

➀ 寝台車の二段ベットの上段に上ろうとする青年。下段のカーテンは閉まっており、その外にハイヒールがそろえてある。

➁ 青年はハイヒールを見つめながら、ゆっくりハシゴを上り、まだハシゴの中途。その時、白い手袋(これがトリック)をした手が出てカーテンをさらにぴったりと閉める。

➂ 上段に横になったまま、青年は眼をぱっちりあけて思いにふけっている。

➃ 翌朝。寝不足の青年。カーテンを大きく開けていじわるばあさんがあらわれ、青年に、「おはよう よくねむれましたか ホホホホ」。

 これなどは、社会制度に対するしかえしと言えよう。何故に「ばあさん」ははずかしめられなくてはならないかのか。

 

 ➀ 女と腕をくんで足早で歩いてくる黒メガネの青年と、いじわるばあさんが道でぶつかる。

 男「きをつけろ! このばばあ!」

 ➁ 青年は手をあげてタクシーをとめる。そのうしろにいじわるばあさんは立って、

 「ばばあでわるかったね。なりたくてばばあになったんじゃねえや!」

 男「しつこいなあ」と弱っている。

 ➂ ばあさんも、タクシーに乗り込んで女と青年の横にすわる。

 「じゃあなにか? あんたじじいにならないとでもいうのかよ」

 ➃ カフェバーの内部までついてゆく。若い女は横をむいて局外者をよそおうが、男はついにたえられなくなり体を折ってあやまる。

 「おじょうさま、じゅうじゅうボクが悪うございました」

 彼はすでに黒メガネをとっている。

 ばあさん「それほどいうんならかんべんしてやる」と昂然たる表情。

 これもしつこいなりに非暴力抵抗〓非暴力抵抗に傍点〓をつらぬいたと言える。老人のほうが、時間を青年よりもたくさんもっているところが強味で、いじわるばあさんはこの強味を活用することを知っている……(中略)……老人が意地悪〓意地悪に傍点〓な非暴力不服従の抵抗をつづけて、減速への小さい力になってほしい……』と。

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 この鶴見さんの文章を読んでいて思いだした。脱線ついでにそれを書くと――

 一九七七年のことや。わたしは大阪を通過する「平和行進」に参加した。参加する以上は「何かちょっとでも自分のものを」と考えて手製のミニビラ数百枚をつくった。

 ところがなんと、いっしょに歩き出したとたん、突然、大阪原水協の教組?の委員長に突き飛ばされたんや。

 「勝手なビラをまくな。やるなら千メートル離れてまけ!」と怒鳴られ、わけわからんままに四、五人の男に取り囲まれて、ビラも取り上げられてしもた。

 「……この行進には既成の組織や団体からは何の援助も受けていません。この行進こそヒモつきでない、真に平和を願う人々によって応援され、誰もが参加できる行進です」という呼びかけビラがまわってきたし、それにアメリカのWRLの仲間数人が来日して、原水禁世界大会参加をかねて平和行進も歩くという知らせがきて、「ほなちょっとだけつきあおか」いうて出かけて行ったのが、このハプニングなんやった。

 突き飛ばされた原因は、わたしらが持って行ったビラの文句やった。文句というても、たった三文字。「反原発」――これがアカンというんや。

 そのビラは、峠三吉の原爆の詩に絵を入れて、その縁取りにグルッと反戦・反核・反原発・反火電・反公害・反天皇・反基地・反自衛隊・反監獄・反死刑・反アンポ・反選挙・反国家・etc……とまあ、思いつくかぎりの「反」が並んだ黄色の色紙に手刷りした小さいビラで、前の晩、即製で向井さんがつくったんやった。

 そやから、特に「反原発」に力をいれたもんやない。わたしなんか「ヘェー、反火電? 火力発電もアカンのやな」ぐらいのことで「反原発」が入ってたかどうかも気づかんくらいのことやった。

 いまなら誰もが、反核ならとうぜん反原発で、『原爆・原発 一字のちがい いずれにしても地獄いき』いうて常識やけど、その頃、反原発運動いうたらまだ学者と現地だけの小数派の運動やったし、「原水爆禁止世界大会」などというところでは、世界に唯一の被爆国だからこそ、「核の平和利用としての原子力発電」をなんていう議論が、まだまだ幅をきかせてたんや。

 けど、ヨーロッパやアメリカでは、すでに反原発運動が盛り上がっていて、大会に招かれた外国代表がちから、なんで反原発いわんのかと疑問が出されたりしてて、そのころ「反原発」をめぐってピリピリした状況があったらしい。

 で、その世界大会では統一スローガンとしては採用されていない、禁句の「反原発」の文字が目に付いた。後から聞くと、たまたま、平和行進の大阪の責任者高教組委員長がそれを見つけて、これは重大な統制違反やと。それでかよわい?わたしを突き飛ばしたという事情や。

 そうなるとこっちは、「なにがヒモ付きでない、誰もが参加できる平和行進や。なんで反原発がアカンのや。ようし、こうなったら話がつくまで後へはひけん。」と、ついつい神戸――明石――岡山――とうとう広島までくっついて行くという、我ながらあきれかえる破目になってしもた。(嫌われながら、最後尾に追いやられても追いやられても、ついていくんやから、それはもう、しんどかった。)

 ところで行進は、日本山妙法寺の坊さんと「仏さんのこどもたち」と名乗るヒッピーふうの一団が十五~二十人位タイコをたたきながら進む。そのあとに動員された共産党系労組員が地区地区で二〇~百五〇人の隊列でバトンタッチしていく。で、その道々、被爆者救援のカンパを訴えるんやけど、それが沿道で手を合わせて行進を拝む人、お布施を出す人もいて、一日で五万から三十万ぐらい集まる。

 ところがその募金、地元の原水協が何割か天引きし、さらに原水協中央に何割か上納するので、「被爆者救援にはあまり回らんらしい」ということがいっしょに歩いているうちにだんだん判ってきた。

 つまり、行進は資金集めの方便に大部分利用されてる。としたらこれは詐欺やんか。行進参加者は、その詐欺、ペテンの共犯者ということになるやんか。

 そこで岡山あたりからは、その問題も加えて、行進中の被爆者救援募金は、全額、広島到着時に被爆者団体などに渡すことを要求しよう(外人行進者には英文ビラをつくって配った)と、みんなに何度も話しかけたけど、日本山妙法寺の坊主も「仏さまのこどもたち」も、宿泊の世話などしてもろてる弱味のせいか、反応はさっぱり。「私たちは平和のため、ただ歩き通すだけです」と、まるで問題意識あれへん。

 とうとうその決着は、広島で平和行進の到着点、慰霊碑前での大セレモニーをひっくりかえして、行進運営の実態を参列者に公表することしかなくなった。

 そこでまずマイクを確保する作戦のために花束を用意した。日達上人が行進団に慰労のあいさつをして、それが終ったとたんに飛び出して、日達上人に花束を捧げながらそのマイクを受取って、いきなりしゃべりはじめた。「みなさん、平和行進に大阪から参加してきた一員として、どうしても聞いて頂きたいことがあります……」と、あわてる司会者を尻目に、いままでの一部始終一切合切をぶちまけたうえ、「こんな偽善セレモニーは散会しよう」と会場に“ビラ爆弾”数千枚を飛ばして落としまいをつけたんやった。(行進途中から出しはじめた速報をみて、全国各地から友人・仲間たちが応援に二〇人ほど駆けつけてくれた。これがそもそもの私らの原発問題のとっかかりやった。)

 しかし、この行動は日共さんからみたら相当えげつなく、しつこい「いじわるじいさん」やったやろ。

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 鶴見さんが「いじわるばあさん」をとりあげて、その「いじわるの非暴力抵抗」の意味をいうてくれはったんで、わたしはえらく元気づけられた。なにしろもう右も左も、ぬるま湯風呂に浸って、いいかげんと鼻歌がきこえてくるばかり。ほとんど大勢は決まってしまってる。そんな世の中で、うちらみたいな半病人と老人のコンビでやれるこというたら、せいぜい頭を働かして「いじわるばあさん」するぐらいしかないもん。

 「非暴力直接行動」と、ことさら銘うってやったわけでないけど、「平和行進での原発問題」だけやなしに、私らがいままでにやってきた、たとえば「御名〓ぎょじ〓踏み絵ビラ事件」とか「悶西電力一万円札ビラ散布事件」とか「建造物侵入罪という名の号外新聞配達不敬罪事件」とかいうのは、いうたら権力にちょっかい出して、飛びかかってきたらパッと移って肩すかし、「一体何するねんや」とワイワイ騒ぎたてるぐらいのこと。まるで「いじわるばあさん」やんか。

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 いま、わたしらの日常は何から何まで、資本と国家に奪われた上で、改めて与えられる、という関係で成立している。しかも、奪われていることにわたしらは殆ど気づいてさえいない。

 「非暴力直接行動」は、いわばその奪われてから与えられるという手続きの一つ一つを、自分の在り方として、拒否し抵抗しながら、直接自分らですべてのことを管理しようとする生き方や。

 言い換えると、奪われてることを取り返し、与えられるものを拒否するという、わたしたちの本来の生活性を奪還する「志」や。

 そこでなんで非暴力かというと、第一にわたしらは暴力で権力に対抗でけへん。暴力は強いもんが勝つ。弱いわたしらのもんやない。

 第二に、これが肝心要やけど、勝利を固定化し防衛するためには、より強大な暴力体制をこっちも追及する以外にない。それは自分もまた、いつのまにか権力者の道をたどるしかないという……歴史のくりかえしや。

 とすれば、どんなときも「暴力」はわたしらのもんやない。その代わりとして、わたしらは暴力以外のどんなことをも自分の力として取り入れて、それを駆使するちゅうわけや。

 暴力以外のどんなことでも、というのは、「暴ニ非(ルビ〓あら〓)ザル力」つまり「非暴力」や。

 暴力でない「力」は、ちょっと視点をかえたら、ようけあるんやで。物理力でも暴力より、風力光力火力電力浮力粘力弾力堕力張力遠心力求心力圧力引力重力摩擦力なんかのほうがよっぽどすごい力や。それ以上に、生産力推理力想像力記憶力眼力親和力理解力説得力感応力念力……などなどいっぱいある。

 それらを自分の力にとり入れ、その併用・折衷・応用で千変万化のやり方を創り出し活用するのが非暴力直接行動や。決して座り込み、ピケット、歌や踊りやパレードなどの表現にとどまるだけのもんやない。(と判ったら、「弱いものが強いものに対して、やむにやまれず行使する対抗暴力」も非暴力の範疇に入るのはあたりまえや)

 そして「暴ニ非ザル“力”」は、「政治」や「他人」に「頼まず」「まかせない」で、かならず自分がやることにおいて「非暴力直接行動」なんや。

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 話をブッシュのことに戻すと、いまになってみれば、あいつは初めからどうしても戦争へと持込む魂胆やったいうことがありありとわかる。

 サダム・フセインが揺るがそうとした中東の石油利権を、この機会をのがさずにいっそう決定的に米欧石油資本の支配下におくことがブッシュの役割やった。そのため「国連」を利用し、「正義」を呼号して、いかに合目的にイラクのひとびとを殺戮しながら世界中を納得させるかがブッシュの手腕やった。

 そやから、アッと驚くばかりのハイテク兵器を駆使して、赤ん坊を踏みにじるようにアッサリと戦闘は終ったけど、中東に平和が訪れたわけやない。それどころか、かえって新しく残されたのは、イラク難民の悲惨、全身油にまみれて力なく羽ばたく鳥たちが象徴する、数百キロにわたる海岸線生物の絶滅。油田炎上によって日本上空にまできてる燋煙の地球規模の汚染。

 しかも一片の悔恨も反省もないブッシュに、「おまえなんか死刑や」と思わず叫んでしもてもそれはあたりまえの感情というもんやろ。

 ただそこであまりにもはっきりしてるのは、わたしらがなんぼ「ブッシュは死刑や」いうたかて、それは負け犬の遠吠えにもならん、ただの「悲鳴」の意味しかない。

 「死刑」も「戦争」も、国家がやる「人殺し」であることで全く同質のもんや。そしてわたしらは、国家によっていつもそれを「やらされ」「やらされる」。

 どんな正義を掲げる死刑も戦争も、わたしらにとっては国家の一方的な「抑圧の制度」でしかないんや。

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 突然やけど、あのブッシュの顔「吸血鬼」に見えへんか。湾岸戦争の報道のたんびにテレビにでてくるブッシュの顔は、だんだんゆがんできて、ニタッと笑うといまにも牙がのぞきそうやった。

 わたし、今年度もモグリで池田さんの「文学」の授業うけてるんやけど、第一回目が「吸血鬼ドラキュラ」やってん。「えー? こんなんやるの」って読みはじめたら、これがなかなか面白いねん。意外にも、これは愛と友情と信念の闘いのロマンやねん。ところが、池田さんの講義を聞いて驚いた。「吸血鬼ドラキュラ」は、むしろ資本主義批判の小説なんやて。

 池田さんがいいはるには――

 吸血鬼いうたら夜な夜な人間を襲って血を吸う恐ろしい悪魔いうことに相場は決まってしまってるけど、そう単純ではない。

 吸血鬼は、十九世紀イギリスという西欧市民社会から較べると、まだまだ文化文明のおくれた未開地東欧の暗黒の世界に住んでる。吸血鬼は吸血鬼ばっかりの世界で、お互いの血を吸いあって、それでみんな「不死者」になって暮らしてるとしたら、それはそれで吸血鬼の生き方やし文化ではないか。それをわざわざ西欧の文化尺度で干渉し、遅れてるだの野蛮だの恐ろしげだのいうて駆逐しようとするから、ドラキュラも逆襲に出るほかなかった――と。

 これは、まるでイラクのフセインとアメリカのブッシュの関係ではないか。それからまた別の見方で読むと、「吸血鬼」の「吸血」は、まるで「資本主義」にそっくりや、と。

 吸血鬼にいっぺん血を吸われてしもたら、もうそれで血を吸われてることに気づかんまま、自分もだんだんと吸血鬼の道を歩むことになるんや。たとえそのことに気づいて吸血鬼と闘おうとしても、内部からやられてしもてるから、自分で自分を殺すしかない。

 ほんまに、すっかり資本と国家にからめとられてしまってるわたしら自身みたいやんか。

 吸血鬼とは闘わなアカン。負けたら死ぬだけではすまへん。負けるいうことは自分も吸血鬼になることを意味してるし、闘いの放棄は、ますます吸血鬼をはびこらせることになる……

 ここんとこが、暴力を使って勝っても、それは自分も同じように権力者になってしまうという問題と共通してると思うんやけど、ブッシュはフセインという吸血鬼に勝って、フセインなどと比較にならん、さらにものすごい大吸血鬼として出てきた、というわけや。

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 ほんまに自分ながらあれやこれや脱線ばかりでわけわから文章になってしもたけど、わたしが言いたかったのは、「ブッシュは死刑!」という、感情のカタのつけ方は、文字通りにうけとれば、自分もまた吸血鬼になる道でしかない、ということ。

 というて、他人にいつもやさしくなんて思ってみても、絶対許したるもんかこの恨み――いうもんは、そう簡単に消してしまえるもんやない。悪い奴がおる限り、そいつを一体どうするかという問題が、つい「死刑」ということばを想起させるわけやけど、人頼みでなしに、悪い奴とは自分で闘うというしか答はないねん。

 ところが、強い、悪い奴と闘うというても、もう切羽詰って追い詰められて、「エエイ爆弾でも投げるしかない」となったり、「過激派」みたいな「もうゲリラや」などという考えが実行はかなわなくてもつい出てきたりする。

 もっと冷静に判断すると、結局、「暴力」ではどうしても勝負にならへんばかりか、かえって挑発的な反動を呼びおこすくらいとわかる。

 とすれば、暴力を使わず、本気というよりはもっと気軽るく、面白く、誰でもその気になったらやれる「ゲリラ」というのが他にないんやろか。

 ということで、改めて鶴見さんの「いじわるばあさん」の指摘――いままでの非暴力論で見落とされ、あるいは斥けられていた新しい「力」についての示唆を受けとめると、つまり、「いじわるばあさん」の奇想天外、機知縦横の「戦略戦術」に加えて、眼の上のたんこぶ、五月のハエの「しつこさ・うるささ・いやらしさ」みたいなゲリラ性の「非暴力直接行動」が、いまこんな状況でとくに見出される必要があるんとちがうやろか。