「鵜飼町666──水田ふう・向井孝の書棚」は水田ふう・向井孝が遺した、ふたりの手になる印刷物と、未知の仲間との接点をつくることを目的として開設されました。 第一弾として、ウリ-ジャパン機関紙「非暴力直接行動」全号を掲載します。 以降、第二弾、第三弾として、水田ふう個人通信「風」、向井孝個人通信「IOM」の掲載予定しています。  毎月6日に更新します

IOM 122号 

  • 謄写盤とハンドマイク
  •  小松亀代吉さん追悼文集“仮題”叛逆頌
  • 山鹿泰治・人とその生涯
  • ビキニ被災・マーシャル島の人々

小松亀代吉さん追悼文集“仮題”叛逆頌

死んだ仲間の追悼文集は、そのたびに一応企画されるが、いろんな障害でまだ殆ど出されたことはない。小松さんは、もし戦後関西のアナ運動史でもかかれる時は、誰よりも先にあげねばならない人である。また故人に何かと世話にならなかった仲間はいないだろう。そのことを考えるだけでも、ともかく出したいと思って、逸見さんからバトンタッチをうけたのだが、何分 金がないので殆ど手製のガリ刷りでやることにした。(現在カンパ7千4百円・実費は今日計算して見積もると三万円強)ともかく手製でも、はずかしくないものをと意気込んでいる。今日現在で34頁ガリ切りが終わったところ。S君が尽力してくれている。 内容は、小松さんの文章3篇を中心にー 

●鞆釘錨会社争議のころ●沢田君と私(遺稿)●思い出の人々(文章がニガ手といっていた小松さんは生涯ほとんどかかなかったが、この3篇で、彼が運動にめざめる大正9年から、東京・静岡・福山・大阪と活動するほとんどがまとめられているのには改めて敬服した。青春の放らつ無頼のなかの叛逆が、たくまずして描かれ資料的にも貴重なドキュメントである。)その他●江東自由労働組合(江西一三)●静岡時代ーハツさんのこと(大塚昇)●奈良から服部へ(安田理貴子)●大和民労会と爆弾事件(河本乾次)●パン略配布ー養子になりそこねた話(々)●戦後第1回西日本座談会(河本)●死の前後・思い出(武良二)ほか逸見吉三・山口英・高島洋・寺島珠雄・志賀紫都子・向井らが書いている。(もしまだ書いて下さる方あれば2月15日までに原稿を送って下さい) 内容をみて若干わかるように、当時の運動史の史料としての意味に力点を入れて編集してるので、読みたいという方に、資金つくりの意味で、カンパを頂いてお送りしたい。発行部数決定の関係もあり、至急ぼくに申し込みを