「鵜飼町666──水田ふう・向井孝の書棚」は水田ふう・向井孝が遺した、ふたりの手になる印刷物と、未知の仲間との接点をつくることを目的として開設されました。 第一弾として、ウリ-ジャパン機関紙「非暴力直接行動」全号を掲載します。 以降、第二弾、第三弾として、水田ふう個人通信「風」、向井孝個人通信「IOM」の掲載予定しています。  毎月6日に更新します

IOM 133号 

 ○ 六月鬱病がまだ身辺を立去らない。いっそのことなら、ええもうこのとおり、ぐっと手をとり引きよせて、すげなうしたのは本意じゃない、今よりは晴れてみようとぶり、うきよのしがらみふりすてて、ながれながれて行く水の、行方は知らぬ旅枕、日毎夜毎のそのさきの、いつかは沈む木の葉舟、かまえて離りよまいぞえなあ……

 Ω 一三二号をいまかきおわって、またすぐこれをかきだした。ひと休みしたいのだが、休むとまっしろな<雲>がやってきて、なにもみえなくなる。………………………………

 

  • 異化と類化・同化

○ 関係の深さとは、第一に<差異の相互的発見>=異化〓異化に傍点〓が、第一次的な発見を媒体にしてさらに第二的発見へとすすみながら―それが従来より、より細部にわたって精密に認識されることで、より限定された―こまかな局部、部分での差異となっていくこと。 

 第二にその差異の部分の限定化・明確化と相対的に、差異そのものとしてでなく、あるもの〓ものに傍点〓が<拡大>するとき、それは同化〓同化に傍点〓ではなく<類化〓類化に傍点〓>するのである。

○ <類化>の部分は、組織員として共通する外部〓外部に傍点〓の対象に対しては、その時、同化と同じ現象(反応・行動)的統一をみせる。しかし内部的(同一組織内)では、決して統一されえないものである。にもかかわらず、世上の殆どでのそれが、<統一>のかたちにみえるのは、そこに組織的なしめつけ、あるいは強権が働いているか、自己主体を自らなげうっているからである。

 

 媒体と関係

○ 直接的な、対峙の関係は<媒体>なしには生まれない。媒体は、その関係の様式〓様式に傍点〓、仕方〓仕方に傍点〓をきめるものであることによって、その<関係の限界>をも規定する。

(限界とは、例えば、ある部分には触れない、といったなれ合い〓なれ合いに傍点〓などをも意味している)

○ たとえば<自由連合紙>を、読むためにそれを受取る人にとって――つまり自連紙が読む対象のものであるとき、それは<媒体>ではない。が『……読み、他へひろげる意志をもつとき』また『周辺の情報、ミニコミなどを自連社へ送るとき』……『そのとききみは社員である』ように、自連紙をつくり送ってきた相手に対して、自己を読者として対置させるものとなるとき、それは<媒体>である。

 

 またたとえば、自連紙は編集社員によってつくられた社員間を結ぶ<媒体>であるが、それは当初一方的であり、対象がそれをどのようにうけとめるかによって、ほとんど<媒体>の意味が左右されるということがある。

 つまり、普通一般の商業紙誌のように、初めから売るという目的でつくられ、<媒体>たることを求めていないものと一見かわらない。

 とすれば、自連紙のつくり手側において、一方的にそれを<媒体>たらしめようとするためには、当然その紙面が一般紙誌と異なった質のものをもたねばならない。

 すなわち<関係は媒体によって生まれるが、あること〓ことに傍点〓、あるもの〓ものに傍点〓が媒体たりうるのは、関係者のある一部分に、とくに選んで作用する質をもっていることによって>である。

 また、<媒体が関係の様式をきめる>とは、そのような媒体の質に示される性格によってであると云えよう。

○ 一方的な関係・みえない関係・間接的関係・あるいは無関係の関係、などとよばれる関係は、<無媒介的>さらには<非直接的>なものであるが、<意識作用>が媒介化するとき<関係>を生みだすものになる。

 

  • 自連をどうつぶすか4  ――思いつくままに――  

(一三二号よりつづく)  <①②の問題>

(承前) ぼくが大山君に、自連編集にあわせて、一切合財、これがぼくの<自連>だ、として<伝達>したものは何であったか。

 それは第一に、たとえばテレビの番組表のごとく、ひとつの形式をようやく定着させた、自連編集の段取り――そのやり方――であった。

 つまり、テレビなら、夜七時からニュースがあって、七時半からお子様向き劇画。八時から歌とおどりのショウ、九時からドラマ……という形があり、その時間ごとに、今日はこれを、次は誰を出演させたあれを、と筋立てこそちがえ、ともかく出来上がったワクの型にはめこめればカッコがつく。多少の出来のよしあしがあっても全体的なまとまりはすでにつくられていて、大きな破綻はない。

 自連紙においてのそれは、ハメコムものとして、すでに各地から毎日送られてくるミニコミがあり、材料は充分といえるほど、揃えられてあった。(もっともこのように送られてくるには、自連発足以前からの向井の個人的な各地との交流が土台となり、さらに自連発行によっての拡大という実績がつくられていた。)つまりそのようにして、料理材料にあわせて、料理のつくり方までがついた献立表そのもの、といえるものであった。

 ただひとつ、第一面におく小論文(トップ記事)をどのように取扱うか―が編集者の唯一のタレントを示す場所であり、そこをテコとして全紙面をかえていくことができる余地であった。

 第二に、それは経営に関する一切の問題を全く解消して、ただ編集発行(それに関する若干の事務)のみを遂行すればよい、という立場であった。

 つまり、発行に要する資金面(発行当初の当然の赤字から、徐々にそれは好転しかけていたが、黒字化はほとんどありえない計算で、その最終的責任はぼくがとることにし、会計をもつと共に、いるだけ、金を出すシステム)や、編集発行印刷に要する設備(最大なものは輪転謄写器)など一切の道具類ひとそろいの完備。そして

 第三に、当初五〇人たらずほどの読者が、すでにこの頃著増して千に程ちかい数となり、なお月々累増するという状況があった。つまり、新聞発行の対象として一定の読者がたしかにある〓あるに傍点〓ということである。

 商業紙であれミニコミであれ、その発行のために必須の苦労ともいうべき、金の問題、配布対象(読者)の問題、記事等入手網の問題について、ほとんどわずらわされることがないというかたち、すこぶる容易に編集発行ができるという<据え膳>として、自連がバトンタッチされたのであった。

 このようにしておいて「ぼくのつくったものをさらに完成するのではなく、彼(大山君自身の、ぼくとの異質の新しい何かを持込んでくること、を期待する」というならば、大山君がよほど強力な個性を発揮し、大変革を加える決心でたとえば、この頁だけでも、ほんのすこしであっても今までとちがうものがある、というふうなこころみを拡大していく以外ありえないだろう。

 つまりぼくが自連を大山君にバトンタッチしたとき、そのバトンタッチとは、実は自連製作の労働力だけで、自連の内実そのものはもぬけの、外側の箱や包装だけが<伝達>されたのだった。(それは大山君から小池君そして黒川君へと同じ形でつづいた)

 そしてかんじんの中味については殆どふれないままだったので、バトンタッチ後いつまでも「<一面の記事・論文>がない、何かありませんか、大いそぎで何かかいて下さい」といった注文や相談が、ぼくのところへくることが断ちきれなかったのだ。

 しかも、安易になれた編集・製作のやり方は、

① 編集会議を、めったにひらくことなく、また内部でそのことについての討論・検討をすることがなかった。

② ガリ切り・印刷・トジ・宛名かき・発送の仕事が、ゆきあたりばったり的に行われ、たとえば大阪周辺読者の労力提供を望んでいなあら、その受入れ態勢をつくっていない、などの行きちがいをくりかえした。

③ 各地から送られてきたミニコミ類に対して、自連を受取り代わりに送るだけで、それに対する、関係の深化・自由連合の具体化としての交流の維持・持続について積極化をはかることが、ほとんどなかった。例えば<伝言板>等にとりあげたものなどに対して、とりあげた意味、内容の取捨選択、一部削除の理由など一ども先方に明らかにしたことなく、一方的切捨ゴメンの態度をとった。(これには煩頊〓?〓な労力と時間がいる。とても一人二人ではやりきれないということがある。だがそれをやりぬく体勢をつくれなかったことが、いま自連をつぶす問題としてでてきている。)

④ 自連は、毎号<アンケート用紙>を挿入した。また読者からのさまざまな手紙類をあわせると、毎月すくなくとも百~二百のものをうけとった。 それらのアンケートにあらわれたものと問題、手紙のなかにある質問などに対応して、当然、自連はそのうけとめ方を明らかにしなければならぬはずだった。すくなくともアンケートは集約し、分析した結果をその人たちにしらせるべきであった。それをほとんどすることなく、編集社員だけがよむという形で、私物化した。

⑤ この三年間、ともかく自連社をたずねた人の数は、数百人に及ぶだろう。また、訪ねたいと思いつつ、まだ訪ねていない人たちも、おそらく数百人、全国に散在しているにちがいない。 そのような人たちに、自連社へ来ることをすすめ、きっかけをつくり、きやすくし、きた上は自連社員として、それ相応の対応(とくに技術と事務におけるトレーニングを通じての関係の深化)、そして帰宅後の交流関係の維持発展、周辺自連読者への働きかけ手としての活動の協力。組織化をはかること――が一体どのように意識的に行われたか。否である。

⑥ <読者会>は何回かこころみられた。だがほとんどが個人の恣意的なよびかけだけに終り、何故、どのように何をそこでするのかが不明瞭なものであった。最初その会に期待してきた人たちは、第二回目からは来なくなってしまうという悪循環のなかで、思い出したように、ごくまれに、ひらかれ、そして一回きりで終息した。

 これに対して、例えば、会の持ち方、すすめ方の技術はもちろんなおざりにされた。研究会・読書会・シンポジウム・講演会その他の集会もよおしは、一切行われなかった。もちろんそのような状況で、たの諸セクトと結びつくような政治行動、または統一行動への参加も生まれなかった。そしてその言い訳として、<自連は組織でない、運動でない、ただ新聞を発行する「経営」だ>が、皮肉にも活用された。

⑦ このようなことは、自連発行と、自己本来の活動を他のところに求める、という分離を生みだした。そして自然に、自連から遠ざかる、という人たちをそのままにしておくことにもなった。                              (未完)

 

 雑記

○ いよいよ自連つぶしの作業がはじまる。そしてそのつぶしの過程、つぶしようを、数ヶ月かかって自連紙上に反映していくことになるだろう。

○ 朝日新聞七月二五日夕刊<標的>ランに、自連をつぶすことにふれた小文がのっていた。筆者<健>氏のわかったような論評、いささか気にくわない。お前サン自連をどの程度ヨンデルノカネエ。

○ クロハタ。自由連合(旧アナ連機関紙)合冊本、八月十日頃には、申込み者に発送できます。代金、ご送金ください。(一度にムリな方は毎月千円以上の月賦で差支えありません。)代金は八千円です。(送共)

 尚、完本とならず、号によっては、部数がたくさんあるのが、相当あります。欠号本は一号欠につき八千円から百円ずつ引いて、お送りします。全部で一四七号あるわけですが、そのうち欠号がかりに三〇号あるとすると、五千円、四〇部あると四千円というわけ。但し欠号分は送料実費(四百円~五百円位)は頂きます。

○ また、例えば特集号等のとくによみたい記事がある号など、余裕がある場合にかぎり一部五〇円(送別)でお送りします。これらの内容をお知りになりたい方はクロハタ、自連、平民新聞内容目録(代金送共二千円)をご参照ください。(内容目録は、今迄の自連クロハタ合冊本申込者に差上げるつもりでしたが、費用と労力が予想以上に多くかかるので、予約希望者のみ千円で送ります。必要の有無折りかえしおしらせ下さい。)