- 立場としての非戦
- 九月二十四日松本で非戦フエスタが催された。この企画は大鹿村の田村寿満子さんが発起して、友人たちに呼びかけて実現したもの。その呼びかけは長野・塩尻・伊那・松本etsとひろい範囲にひろがって、当日は東京や名古屋や遠くからも、年齢も仕事も運動の好みも様々な人たちが集まった。ゲストの一人、立川自衛官官舎ビラ入れで逮捕されたさっちゃんが「ヒッピー系、パンク系、硬派、軟派運動系、こども連れ、なに系とも表現できんいろんなひとたちが同じ場所にこんなふうに集まるなんて、俺ほんとに楽しい」っていってたけど、わたしも、この日は「非戦」についてしゃべるように寿満子にたのまれて参加したんやった。で、今回はその報告。
もうずいぶん昔に「反原発」や「天皇ステッカー事件」のことをひとまえで話したことあったけど、そのときも原稿を何十枚も書いて準備していった。でも、余裕なんてまるでないから、ただ原稿を丸読みするようなことやった。聞いてる人にしてみたらさっぱり面白なかったとおもう。でも、今回もやっぱり原稿をつくった。それが四〇枚以上にもなってしもた。持ち時間の五〇分ではとても足りない量や。どないしょう。会場は大学の中庭で出店もある野外やし。こんな長ったらしい話を誰が聞くんやとおもって、もうふてくされ状態。
前日、はなちゃん、成田くん、山川さん、中島くんにサクラを頼んだ。「聞いてる振りでいいから。一人でも二人でも聞いててくれる人がいるとおもったら落着いて話せるから」いうて。それにわたしはもう昔のわたしやない。ひとまえであがったりはせえへん……
ところがなんと! 百人以上のひとりひとりの顔がいっせいにわたしに注目してるのがわかると、もう恥しなってあがってあがって。後で、はなちゃんが「わたしも恥ずかしかった」いうてたからほんまに見てるほうが恥しいような支離滅裂状態。九月にはいってからは、毎日毎日パソコンに向って原稿にしてたことがなんやったんや、いうようなことでもうさっぱりや。それで、ほんまはこんなことを話たかったんやいうて、その原稿を「風」にすることに。九月はほんまに苦の月やった。
(余白に)
- 八月六日は向井さんの三回忌。この日にあわせて「アナキストたち――無名の人びと」を刊行した。雑誌「黒」に向井さんが連載したものと、そのまえの編集委ニュースに連載したものの一部をまとめたもの。その編集作業のほとんどを中島くんがやったんやけど、編集・校正・校閲いうのはえらい仕事やった。
たとえばページ一四四の下段のところ。向井さんは「阪本清一郎の書いた「忘れえぬ人びと」から引用しよう」とかいてるんやけど、本にするときは、その出典を明記せなあかん。そやけど、それを向井さんに聞かれへん。部落問題にくわしい吉田智弥さんにきいても知らんいう。でも「水平社博物館の仲林さんやったら、阪本さんのことにくわしいよ」と教えてもらった。電話すると「いやあ、聞いたことないなあ」といわれたんやけど、調べてくれはったんや。そしたらちゃんとあった。すぐコピーして送ってくれはったんや。そんなふうで、ひとつのことをしらべるのに、中島くんは横浜図書館までいったりとか、それでもわからんで、堀切さんに電話したり、とかほんまにえらい仕事やった。太田くんにも世話になった。
それからわたしが読まれへん字がいっぱいあって、ルビをふった。でもたいへんやった分向井さんがやってきたことの大変さもわかったし、楽しい作業でもあった。
そして、なにより、こうして一冊にまとめて読み直すと、向井さんが書こうとしていたことがあらためてこころに沁みてきた。
で、買ってください。そして買ったらまず跋文を読んでください。小沢信男さんの跋文(あとがき)がすごくいいんや。小沢さん独特の軽妙な文体で、向井さんを深く読み込んでくれてはるのがよくわかる。この文章を書いてもらったいうことだけでもわたしは、この本をつくってよかったと思ってるくらい。一五〇〇円です。