「鵜飼町666──水田ふう・向井孝の書棚」は水田ふう・向井孝が遺した、ふたりの手になる印刷物と、未知の仲間との接点をつくることを目的として開設されました。 第一弾として、ウリ-ジャパン機関紙「非暴力直接行動」全号を掲載します。 以降、第二弾、第三弾として、水田ふう個人通信「風」、向井孝個人通信「IOM」の掲載予定しています。  毎月6日に更新します

風 42号

  • 詐欺?顛末記・・・

この数年の「風」はほんまに悲しい話しばかりやった。そしてだんだん積極的に「風」を出そうという気がなくなってきてるんやけど、このところご無沙汰しているひとたちへ手紙がわりに最近の身辺日常的なことを書いてみることに――

ちょっと大雨が降ると雨漏りがして、洗面器で受けたりしてたんやけど、もうその心配がなくなった。屋根をふき替えたんや。家はもうだいぶ傾いてて瓦やと負担が大きいし、値段も安いしで板金(トタン)の屋根になった。ついでに壁面も修理したので見違えるばかりの家になった。私としては一大事業やった。というても資金の大半は母親がだしてくれたんやけど。 でも、そもそも、なんでそんな大事業をする気になったかというと、わたし詐欺? にあいそうになったんや。

  *

 一月の下旬やったか、ある朝、ニッカボッカ履いて、タオルを頭に巻いた若者(二四歳というてた)が元気よく「おはようございます」といって戸を開けて玄関に入ってきた。「近所で工事をすることになりました。家のまえを工事の車が通りますが、このへんお年寄りが多いときいてます、ご迷惑をおかけすると思いますがよろしくお願いします。」というあいさつや。「工事はいつまでかかるの?」「明日の夕方までです、じゃ、よろしくお願いします」と出て行った、と思ったらすぐもどってきて「お宅の屋根の瓦落ちそうになってますよ」という。「えっ、どこ」といって外にでてみる。いまにも落ちそうというふうにはみえへんけど、瓦がずってるといえばずってるかも。まあ、そうとうガタがきてるのはたしかや。 「一度、工務店にみてもらったほうがいいですよ」という。「あの、巴のとこだけでもちょっと止めといたらいいですよ」「そうやね、落ちんように自分でやってみるよ」「そんな、おかあさんがそんなことしたら危ないですよ。じゃあね、あれだけなら一時間もかからんから、千円もくれたら、ぼくが昼休みにきてやってあげますよ」「えっ、兄ちゃんがやってくれるの! じゃあ、たのむわ」ということになった。 二時すぎ、梯子をつんだ車でこんどは二人ずれでやってきて、みるみる屋根に上っていった。一〇分くらいして降りてきて、向いの屋根のところを指差して、「あの漆喰のところに穴があいてるんですよ。現場に漆喰の残りがあるのでとってきて、ついでにやったげますよ。材料費だけもらったらいいですから」「でも、ご主人の留守に勝手なことして後でしかられたりしませんか」「いや、わたし一人やから大丈夫や」というと、すぐ取りにいってきて、また屋根にあがった。 しばらくして「終りました」というのでお金を払おうとしたら「ぼく、これ、自分のアルバイトとしてやったんですけど、一応どんなふうにやったかということをみてもらわなアカンことになってるんです。お宅テレビありますか」「あるよ」というと部屋にあがってきて、自分の携帯電話をテレビに向ってカチャカチャしたら、屋根の上が画面に映った。「ほら、ここにも穴があるでしょう。こっちは止めときましたけど。一応の応急処置です。一度本格的に工務店で診てもらったほうがいいですよ」「工務店いうてもそんな知り合いいないし。じゃ、兄ちゃんがまたアルバイトで都合のいい日にやってくれたらいいやん」「おれらみたいなよそもんに、そういうふうに仕事たのんでくれる人はいませんよ。ぼくにやらしてくれるというんならやりますよ。でもおかあさんいくらくらいならお金だせるの?」「いくらかかるの」「この表の屋根の広さやったら四十万かな」「裏の方の屋根は?」「裏の方はもっとかかりますよ」「表だけで四十万か……それで雨漏らんようになるんやな。よし、じゃあ、兄ちゃんに頼んだ」「でもアルバイトでやるとしても、ちょっと親方に相談せんと……」、というなり携帯で親方に電話。「おまえなにしてるんや。どこにおるんや。なにー。おれがそっちにいく」という声が聞こえる。とほんの十分もせんうちに、ピンポンもおさず、いきなりテレビのある部屋のガラス障子を開けて親方がはいってきた。 親方いうてもこっちも三〇くらいの若者。あとで考えるとこのあたりから??と思ってもいいはずなんやけど、「こんにちは」も云わずにそのまま部屋に上がりこんでくる人はほかにもおるし。このときわたしは微塵もなんの疑いも持たんかった。むしろ、よそ者という偏見をもたれてるという若者にわたしはそんな偏見もってへん、工務店なんてもんを間に通さんと実際に仕事をするにいちゃんと直接話をして決めるんやから、これが一番たしかなやり方なんやなんて励ましたくらい。 「おまえいくらで引き受けたんや」「四十万です」「えっ」といって親方に頭をこずかれてる。「ほんとはどれくらいかかるの?」「どう低く見積もっても四十五万はかかります。でもしょうがない、こいつが四十万といったんなら、四十万でやります。」「えっ。いいの」「いいです。でも、この額でやるのには、ほかの仕事場へ行く車のついでに材料を運んでもらったりしていろいろ経費をおさえなあかんし……あ、ちょうど明日この近くの現場に車がくるのでそれに載せてもらうように手配します。いま、材料を注文しますけど、キャンセルしないですよね。キャンセルされるとかなりの赤字になりますから」「大丈夫や」というとすぐ携帯で材料の手配と車の手配をする。「じゃ、いま見積書をつくってきますから」といって部屋をでていく。二〇分くらいしてもどってきて見積書をもってくる。工事内容・型式・数量・金額と8項目にわたって細かく数字が書き入れてある。消費税を入れて合計四十二万円也。わたしはそれにサイン捺印して、契約成立。「じゃ、工事は三日後に。一日で終りますから」 それで、夜、中島くんから電話があったとき、「今日はねえ、屋根を修理してもらうことにしたんや」「どこに頼んだの」って聞くから朝からのことを話した。「その話おかしいよ。工事を急ぎすぎてるし……」「大丈夫。わたしはちゃんと人をみて決めたんやから。わたしは人を見る目があるんやから」といっこうに耳をかさんもんやから、中島くんもだんだんイライラして「絶対おかしい。やめときなよ」というばかり。「じゃあ、本当に家の前を車が通ってうるさかった?」「……」そういえば、工事の車なんかぜんぜん通らへんかったな。それでもわたしはとうとう逆ぎれして「大丈夫! 自分で決めたんや」と怒鳴って電話をバチンと切ったんやった。 しだいに不安になって来た。それで近所のIさんちに聞きに行った。「今朝、工事があるからいうて若者があいさつにきたぁ?」「えっ? そんな人こなかったよ。どうかしたの?」「うん、屋根の修理をたのんだんやけど……」いうてわけを話すと「それは詐欺ちゃうの。クーリングオフいう制度があるから、契約しても断れるよ。その話断った方がいいと思うよ」という。家にもどって急いで大竹くんに電話する。「中島くんが怒るんやけど、大竹くんどない思う」「ぼくやったら怒らへんと思ったの?」いうて笑う。「それなんていう会社。調べてみるからちょっとまっといて」ほどなく大竹くんから電話があった。 「パソコンで屋根修理・詐欺いうて検索するとダーっていっぱいひっかかった例がでてくるんやけど、ふうさんはマニュアルどおりにそっくりひっかかってる。初めのそのあいさつの言い方から詐欺の手らしいよ。どんな人が詐欺に引っかかり易いかいうのもでてる。一人暮らしの老人やて。一度詐欺にかかった人は懲りてもう二度とはかからんと思うやろ。それが、詐欺に引っかかるような人は何度でもひっかかるらしいわ。カモリストいうことばもあって、そのカモリストを詐欺グループはまわしてるみたい」

 翌朝おちおちねてるわけにはいかん。いつもより早く起き出して、今日の夕方まで工事をしてるという現場を自転車で探してまわったけど、それらしいもんは近所のどこにもない。もらった名刺の会社の名前でNTTに電話番号を問い合わせると、名刺に書かれてあるのと同じや。この会社は実在してるんや。ゴミの日だったのを思い出して出しに行くと隣の町内のおばあさんから「水田さん、あんた屋根の修理をたのんだかや」と声をかけられた。「えっ?」「きのう若いあんちゃんが訪ねてきて、神社のとなりの水田さんを知ってるか。いま水田さんとこの屋根を修理した漆喰が残ってるから、おばあちゃんとこの屋根もただで修理してやるといって、断ってもタバコ買いにきたついでにとかいうて三度もきたんや」 あの兄ちゃんは近所に工事で来てるんとちごて、一人ぐらしの老人の家をあちこち周ってるんやった。年寄りに狙いをつけて、適当に口からでまかせいいながら、作業着着て営業しとったんやな。わたしは兄ちゃんの顔を思い浮かべてそれでも半信半疑。詐欺いうてもおれおれ詐欺みたいなんとはちごて、ちゃんと顔をみせて、会社もあって、ともかく仕事をつくってやるんやろ。それが手抜き工事でも工事は工事や。屋根の上をどう修理されたかなんて、こちとらたしかめようがないしなあ。また、雨が漏りだしてもそれを、「詐欺」とまでは立証でけへんやんか。世知辛い世の中や、そんなやり口でぼったくる業者いうのもいるんとちがうか? ともかくこんなに不信感がふくらんでしまったからには仕事は断るしかない、と思い決めた。

 八時を待って会社に電話する。工事には九時にくると云ってたから八時には誰かがいるやろと思って。すぐに年配の男がでてきた。もらった名刺の人の名をいうと昨日きた親方が電話口にでてきた。

 「あのねえ、ほんとうに申し訳ないんやけど、工事中止にしてほしいんや。肝心の修理代のメドがたたんようになったんや。わたしはいま連れ合いをなくして一人暮らしで、生活費も親にたよってるんやけど、その親が詐欺にひっかかってな、わたしの屋根修理代どころやないいうんや。ほんまに悪いけど、金がないねん。ごめんな。」「……そうですか。わかりました」いうて、はなしはこともなく済んだ。一時間ほどたってからあの兄ちゃんから電話があった。「さっき親方から屋根の修理を中止されたいうことをきいたけど、訳をきかせてもらえますか」というので、親方に話したことを繰り返すと「ローンという方法もある」というんやな。「いや、ローンでもなにしろ金がまったく都合つかんねん。わるかったな、にいちゃん」 工事の予定だった日。朝が苦手なのに大竹君九時すぎ名古屋から来てくれる。お金は後でいいからともかく修理だけしてあげるとかいって来るかもしれへんで、いうて用心棒にきてくれたんやった。何事もなく、この詐欺? 事件はあっさり終ったんやけど、わたしは一週間ほどは腕組をしながら「しっかしなあ、しっかしなあ……」とぶつぶつひとりごとを云ってた。

       *

 それからどうなったかというと――

 いま、家の前を通る人みんなが「きれいになりましたねえ」といって声をかけていく。よっぽどボロに見えてたんかな。なんせこれまで口きいたことのない人まで一言いっていくくらいやから。この家の修理をやってくれたのは、いきつけの喫茶店の常連さん。 家から歩いて十分もかからんところに「ふう」という喫茶店がある。できて四年になるのかな。いつも買い物に行く道とはちがう道筋にあるのでしばらくは気付かなかったけど、「ふう」という名にアレッと目がとまった。むかしの商家のたたずまいをそのまま生かした造りで、しゃれた店や。李政美(イチョンミ)さんのライブを「ふう」でするというポスターをみて、おいちゃんといっしょに聴きに行ったいったのが付き合いのはじまり。李政美さんは、たまたま東京の友人のうちに泊めてもらったとき、そこに来てた人やったんや。「ふう」では月に一度、フォークのライブがある。最大で二十人。四人のときもあったらしいけど、むかし「ハラハラ大集会」のとき出演してくれた豊田勇造がくるというので、そのときのお礼にとおいちゃんと聴きに行った。おいちゃんは喫茶店に行く習慣も趣味もなかったんやけど、弱くなった足の散歩には手頃な距離やったから、よく行くようになった。でもおいちゃんがそこで注文するのはかならずビールや。うちに来る客人もよくつれていった。「このひとは、アラブ赤軍」というてひもりさんもつれていった。「ふう」においてある落書き帳においちゃんがいろいろ書いてた。受験生が冗談で「いい国つくろう何とか幕府」、とか書いてた後で、「日本は悪い国 向井孝」やて。

 この店をやってるのは、あきらさんとまり子さんの夫婦やけど、おいちゃんが居なくなって一日中誰とも会わないでいると気持ちが塞いでくるから、そんなときは「ふう」にいく。「風」をわたすといつも読んでくれるし、こんどつくった復刻版「非暴力直接行動」も一番に買ってくれたんや。

 「ふう」にいくまでわたしは犬山に友人は一人もいなかったんやけど、この店でいろんな人と知り合いになった。いまではウクレレとピアノとボンゴとボーカルとフラダンスの五人組でバンドもやってる。

 それで詐欺にあったときも「ふう」でその顛末をはなしていると、そばで聞いてた木村さんが一度屋根をみてやるよというはなしになった。木村さんがそういう仕事をしてる人とは知らんかった。木村さんは「ふう」のとなりの洋服屋さんの亭主とばかり思ってた。去年わたしが小牧の自衛隊の官舎にビラ入れにいったときのことが大きく新聞記事になって、それを読んだいうて話かけてくれたんやった。洋服屋さんとは気安い仲やったけど、亭主さんとは挨拶をかわすくらいでよく知らなかった。もとは障害者の施設の職員やったらしいけど、今は、家を建てたり、直したりの職人仲間をつくって仕事をやってる人やったんや。

 で、職人のひとをつれてすぐ家をみにきてくれた。詐欺の兄ちゃんは即座に四十万という見積もりをだしたけど、そんなにはやく見積もりはだせるもんやないらしい。この家は土台がやられて傾いてるし、とても一日の仕事で済むような簡単なわけにいかんというんや。表の屋根より裏の屋根のほうがむしろやばい、というし……わたしの余命はもうそんなに長ごないし、まあ朽ち果てるままにしょうか……と渋ってると「ふうさんは詐欺の若いにいちゃんには即座に四十万承諾したくせに、わしらみたいなおっさんやと渋るんやなあ」なんて笑われてしまった。 こんどは即答はせずにいろいろ思案したんやけど、母親が向井さんにはお世話になったんやからいうて、お金をだしてくれるという。で、「よっしゃ」と踏み切ったというしだい。奥山さんという大工さんは、以外にすぐ近所に住む人で、エエ感じのひとなんや。連れ合いさんも仕事の休みにはかた付けの手伝いにきてくれたりして気安くなった。三週間の工事期間、しばしば雨にたたられたけど、十時と三時のお茶の時間はわたしの楽しみになった。ドーナツ揚げたり、イモの天ぷらつくったり、サンドイッチつくったり、いろいろしゃべったり。三代続いてやっているという板金屋さん親子の、そのとつとつとした話に耳を傾けながら、これが職人ちゅうもんなんやなあとうれしかった。奥山さんも板金やさんもとっても丁寧ないい仕事をしてくれはった。儲けぬきの木村さんの裁量で正面の壁板も張り替えられて、わたしはきれいになった家を毎日ながめて満足している。これも詐欺のにいちゃんの効用? かな。

  • 復刻版「非暴力直接行動」刊行によせて