「鵜飼町666──水田ふう・向井孝の書棚」は水田ふう・向井孝が遺した、ふたりの手になる印刷物と、未知の仲間との接点をつくることを目的として開設されました。 第一弾として、ウリ-ジャパン機関紙「非暴力直接行動」全号を掲載します。 以降、第二弾、第三弾として、水田ふう個人通信「風」、向井孝個人通信「IOM」の掲載予定しています。  毎月6日に更新します

復刻版 非暴力直接行動 1984~1994 NO140-192

  • 復刻版「非暴力直接行動」刊行によせて――水田ふう

今年の元旦からひたすら公民館に印刷に通って、いまようやっと100セット分の丁合が終了。茶色く古びたザラ紙から、真っ白の紙に印刷しなおした「非暴力直接行動」を手にとると、中味もまるで新品や!

あらためて号数を数えてみると、はじめの10年間では139号まで出してるのに、あとの10年間ではおよそ3分の1の53号しかつくってない。たとえば140号は84年8月発行で、141号は86年12月。2年も間があいてる。

でも、このときはつくる暇がないくらいにメチャメチャに忙しかった。東アジア反日武装戦線最高裁の判決がせまって、「大阪名物反日タコヤキ団」で各地を巡業してまわったり、1986年の9月14日反日大博覧会(野次馬千人集会)で千人集めるためにもう連日 連夜シャカリキに動きまわってたからやった。「けど、その後の動き方はやっぱりそれまでとはだんだん変ってきた。まず、88年、わたしは胃癌の手術をした。それで翌年には向井さんと犬山に住居を移して...…。それ以来、大阪でのような、人の出入りがたくさんある動き方とちごて、もっぱら向井さんとふたりでの動きにかわったんや。93年には向井さんが脳梗塞で倒れて入院......。それでついに発行も止まってしもた。 

つまり、今回復刻したのは、だんだんくたびれかけてきた頃からの記録や。でも、ひとが来るのが減り、外に出かけていくのが減った分、書いたり話したりする時間もようけとれて、初めの10年に出したものと比べると厚さが違う。分厚くなってる。ひとつのテーマについて、次第に長く書くようになった。対話形式で書くのが定着したのも、実はこの頃のこと。向井さんが、詩の仲間やこよないアナキストたちについて、書き遺しておきたいことを載せるのも増えていった。 

「非暴力直接行動」は、ウリ-ジャパン/戦争抵抗者インター日本部が出していた機関紙。1974年に準備号を発行(11号から100号まで「Wri News Letter」に改題)、94年の192号まで続いて、廃刊の挨拶なしのままそれきりになってしもたわけやから、ちょうど20年続いたんやった。 

今回復刻したのは後半の10年分、1984年〜94年に出したNO.140から192まで。その時々のウリの具体的な行動記録や。 

なんでも気軽く、軽薄にやったらええ。でもやった後では、そのやったことの意味、結果をきちんと記録し、あとづけをちゃんとせんかったら、やったことにならん。向井さんはいつもこういうてたけど、まあ、そんな日々のいろいろの記録。書いてるのはやっぱりわたしや向井さんが多いんやけど、その時々いっしょに動く数人から数十人の仲間が、そのときウリやった。 

WRIは、古く(第1次大戦後から)からある反戦団体やから、日本部はいったいどうなってるの? いうことは、よく聞かれた。ウリ-ジャパンいうのは、宣言はあっても規約はない。やってることはといえば、反戦はもちろんやけど、反核、反原発反天皇制、死刑制度反対、東アジア反日武装戦線の救援・支援などなどなんでもかんでもや。まし て、宇里乃奈加万乃安以古止波喫天爾乃里越なんて、わけわからんやろ。 

というわけで、もっときちんとした組織にして、反戦運動を押し進めるべきだ。なんてことを、WRL(アメリカのWRI)からいわれたくらい。今回の復刻の最初の号(140 号)でも、WRLのデビット・マックレイノルズさんとのそんなやりとりが載ってる。 

でも、ウリ-ジャパンは最初から組織やない、運動体や。そして、なによりも戦争いうのは武器や軍や基地だけを問題にすればいいことではない。戦争を支えさせられてるわたしらの日常を奪い返そういうことなんやから。問題はみんな通底してる。いろんなことをやることでそれがようみえてきたんや。 

いま、くたびれかけてきた頃、と書いたけど、歳とったら、誰でもくたびれる。それは当たり前やけど、わたしなんかはこの30年、いつもしんどい、しんどいいうとったなあ。しんどいといいながら、向井さんといっしょにいろいろやってきて、けっこうおも ろかった。そやからくたびれるのはいまさらはじまったことやない。しんどいとおもろいはくっついたもんやもんな。 

非暴力直接行動いうのは、そういう日々の営みそのもの、その日々の営みのなかで自分たちが必要とするものを「創りだす」行為のことや。それが、その30年でわたしにもだんだんわかってきた。そやから、この具体的な行動記録としての「非暴力直接行動」は、それが非暴力直接行動であることで、決して古びてない。 

各地でがんばってる仲間たち、そしてこのごろ向井孝の「暴力論ノート」を買ってくれる若い人たち、何かやりたいけど、どうしたらいいか、と思ってる若者たちに、是非手にとって読んで欲しい!

2005.2.3