
1,期日 9月12日(日)
2,墓前祭 午後1時~ 於:日泰寺墓碑前
※地下鉄「自由が丘」駅より西へ約300米。墓前祭への参列は、墓碑へ直行するか、「日泰寺」境内入口付近の旧茶店跡へ集合してください。マイクロバスで12時30分に出発/移動します
3,講演会 午後2時15分~ 於:名古屋YWCAホール〈2F〉 参加費500円
◆講演 講師=大杉豊 さん
テーマ 「アナキズムを生きるー大杉栄の場合」(仮題)
報告 「墓碑発見の経緯と保存会のいま」(竹内宏一)〈世話人〉
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1,期日 9月12日(日)
2,墓前祭 午後1時~ 於:日泰寺墓碑前
※地下鉄「自由が丘」駅より西へ約300米。墓前祭への参列は、墓碑へ直行するか、「日泰寺」境内入口付近の旧茶店跡へ集合してください。マイクロバスで12時30分に出発/移動します
3,講演会 午後2時15分~ 於:名古屋YWCAホール〈2F〉 参加費500円
◆講演 講師=大杉豊 さん
テーマ 「アナキズムを生きるー大杉栄の場合」(仮題)
報告 「墓碑発見の経緯と保存会のいま」(竹内宏一)〈世話人〉
続きを読む発行 四万十市教育委員会 生涯学習課
橘宗一墓前祭が毎年おこなわれるようになって、今年で三十三年になる。橘宗一といってもその名を知る人はほとんどいない——
一九二三年(大正十二年)九月、関東大震災のどさくさに軍閥は流言を放って、何百人とも何千人ともいわれる朝鮮人が民衆によって殺され、平沢計七、河合義虎など九名もの南葛飾の労働者や主義者が習志野騎兵隊に殺された。この不穏な状況下の十六日、大杉栄は、ようやく消息のわかった弟勇一一家とそこへアメリカから来ていた妹あやめの息子宗一の様子を気づかって鶴見へ野枝さんとでかけたんやった。そして、家にくれば魔子とも遊べるしと、連れて帰る途中、大杉、野枝と共に憲兵隊に連行され、三人ともそのまま虐殺されてしまったんや。
宗一は当時、まだ七歳の少年やった。
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けさ起きてラジオをつけたら、「日曜訪問」いう番組がはじまってた。作家の佐木隆三が出てきてしゃべってる。三十何年か前に直木賞を受賞した『復讐するは我にあり』の改訂にとりくんでるそうなんや。当時、わたしは奥崎謙三さんからごっつ推薦のハガキをもろて、映画の『復讐するは我にあり』の方を先に見て、やっぱり面白くてあとで本までよんだくらいやった。
ところが、佐木隆三はずいぶん前から、まるで警察と検察の手先のようなことばっかり云うようになってたんや。オウム事件なんかでさかんにテレビにでてきて、弁護士が裁判をわざと遅らせてる、とか。わたしはねまきのまま、聞き耳をたてた。
長年の裁判傍聴でなにを見てこられましたか? の質問に、このひとはこんなふうなことをこたえてた。裁判で被告は丸裸になっていく。人間とはなにかということを考えさせられる。刑事事件にぜひ関心をもってほしい。そう云って、裁判員制度をえらくもちあげてみせるんや。
「改訂」いうて、きっと書いた時の自分の立場を「修正」するんやわ。丸裸にする側と、立場をおんなじにしてしまったんやからな。
警察の取調べいうもんがどんなにいい加減で意図的なものか。そして、起訴されたら百パーセント近くが有罪になってるような、ひたすら量刑だけをやりとりしてるような裁判。裁判員制度いうのは、その迅速化、簡略化をめざすものなんやろ? と同時に、個人の思想信条の自由をも剥ぎ取って、それこそ丸裸にするもんや。そして、どんなデタラメ判決も「国民が参加していっしょに裁決した」という云い訳がつく。まあよう考えたなー、というとこやけど、「民主主義制度」いうのは、なるほど上手にひとをだます制度のことなんやな。
ほんまになあ……ため息ばっかりや。……
『女掠屋リキさん伝』が、やっとできる。今月中には印刷所に持っていけると思う。今年の三月の終わりに一応第一校をおえてたんやけど、そのあとでまた大幅に手を入れることになってしもて、夏の暑い盛りにも毎日毎日手を入れ続けて、やっと今日、宣伝を兼ねて「風」をつくろ、と思いたった。
向井さんに連れられて伊勢のリキさんに会いに行ったのは七四年のこと。そのとき聞いた「聞き書き」をもとに一度六〇枚ほどにまとめたんやけど、それきりほったらかしのようになって……。「女掠屋リキさん伝」ふう&こう――として「風」に連載しだしたのは、リキさんが亡くなった九年後の一九九六年やった。それを九八年の十一月まで一四回続けて中断。なんとか切りをつけようと〇三年六月の「黒」に連載一五回を唐突に載せて未完的完了にしたんやった。
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